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漫画「はいからさんが通る」を散歩する②

こんばんは。幽翠街道です。

すっかり秋ですね~。実りの秋・読書の秋・芸術の秋・食欲の秋。
でも気候の急激な変化で風邪などひかないようお気をつけて下さいね~。(←自戒込めて)

さて、歴史漫画散歩の続きです。今回は東京・銀座です。

東京銀座の始まりは、徳川家康による江戸の街作りまでさかのぼります。
まだ人があまり住んでいなかった土地に、徳川家康は碁盤の目状に区画整理し、町人に与えたのが始まりだそうです。

慶長17(1611)年、徳川幕府は現在の銀座2丁目あたりに銀貨幣鋳造の銀座役所を駿府から移設し、当時流通していた銀貨の鋳造を行わせます。

現在の銀座のメインストリートは銀座通り(中央通り)ですが、この道路は旧東海道で、この道路を中軸として、
現在はブランドストリートとなっている並木通り、またそれらと直角に交わる銀座柳通り・マロニエ通り・晴海通りなどの横丁が作られ、それらの位置関係は当時とあまり変わらないそうです。
明治5(1872)年の銀座大火により銀座・築地などが焼失した後、東京・不燃都市化計画が立ち上がり、大規模な区画整理が行われ銀座煉瓦街が建設されました。

しかし、旧住民は再入居の条件の厳しさで入居できなかったりで、新しく建設された銀座にはなかなか住民が集まりませんでした。
その住民が集まらなかった銀座に、入居してきたのが新聞社の工場でした。

今でも、銀座周辺には主な新聞社・ラジオ局・テレビ局がありますね。明治から昭和まで銀座から有楽町にかけて新聞社が建ち並んでいたそうです。

「はいからさんが通る」の主人公・花村紅緒。時代の新婦人を共に目指す、紅緒の親友・北小路環は女学校卒業後、新聞社に就職します。
雑誌記者として働いている紅緒と再会した環は、一杯飲みにカフェープランタンに紅緒を誘います。
紅緒はそこで、新進気鋭の作家たちに囲まれ談笑する環の新婦人っぷりに感心するのですが……

……さて、そのカフェープランタン。調べたら実在していました。
1911(明治44)年、現在の銀座8丁目あたりに開業した、日本初の“カフェー”と名乗った喫茶店だったそうです。
建物は銀座煉瓦街のものを改装したものだそうで、コーヒーやお酒を提供し、画家の黒田清輝・岸田劉生などや作家の森鴎外・永井荷風など、当時の文化人が集まっていたそうです。
関東大震災を乗り切ったそんなカフェーも、1945(昭和20)年の東京大空襲で焼失してしまい、今はありません。
ちなみに、いま銀座にあるプランタン銀座(1984年4月オープン)とは関係ありません(^0^)

では、銀座で明治以降の歴史を持つカフェーがなくなったのかといえば、そうではありません。
伊集院少尉の元部下で、満州で馬賊になった“黒い狼”こと鬼島軍曹が紅緒を訪問した際、立ち寄った「カフェーパウリスタ」は今でも健在です。

カフェーパウリスタは1911(明治44)年、現在の銀座6丁目の交詢ビルの真向かい角に洋館を新築して、ブラジル産コーヒーの発売所に併設開店した喫茶店でした。
ブラジルコーヒーの普及事業のために開店したカフェーですので、新聞記者などの新知識人が集まり、新時代を語り合いながら、異国情緒漂う香りと味を楽しんだそうです。
また2階の室内様式の優れた婦人室では、平塚らいてうの青鞜社の同人仲間が毎晩集まっていたそうです。
紅緒たちが登場した大正時代では、文化活動のサロン的な拠点となり、徳田秋声や芥川龍之介などの文人、小山内薫や上山草人などの演劇人、また画壇の有名人などたくさんの文化人が集まっていました。
今では「銀ブラ」は“銀座をブラブラする”という意味になっていますが、本来の意味は“銀座でカフェーパウリスタのブラジルコーヒーを飲むこと”なんだそうです。
現在のカフェーパウリスタ銀座本店は銀座8丁目の中央通りに営業しています。

カフェパウリスタ
東京都中央区銀座8-9 長崎センタービル1階
カフェーパウリスタの地図→


そして、銀座で忘れてはならないのが「木村屋」。
作中で度々出てくる紅緒の大好物「木村屋のあんぱん」。この酒種あんぱん…これ本当に美味しい。

創業が1869(明治2)年。東京の芝で文英堂として開業しました。
1874(明治7)年、銀座煉瓦街が完成したのを機に銀座4丁目に移転。そしてここから試行錯誤の末、酒種あんぱんが発明されました。
そして翌年、明治天皇に桜の花の塩漬けを埋め込んだ桜あんぱんを献上しました。
のちに銀座に構えた店の屋号は「木村屋」から「株式会社木村屋總本店」になりました。
銀座木村屋總本店HP→

現在の「木村家」は銀座本店に掲げてある山岡鉄舟の書による「木村家」という看板が由来といわれ、
また、のれん分け制度を行っていた頃、一人前になったパン職人に「木村屋一家」という意味を込めて授けた屋号でもあったそうです。
銀座本店はパンの製造を行っているだけでなく、喫茶・レストラン経営もしているため、独立して看板にちなみ「株式会社銀座木村家」となり、木村屋グループとして事業展開しているそうです。

私が行ってきたのは「銀座木村家」。木村家直営店の本店です。
2階のカフェはあんぱんも楽しめる喫茶室です。
幽翠街道のおすすめは「酒種あんぱんセット[桜・小倉]コーヒー・紅茶・ミルク又は日本茶付 998円(税込)」です。
木村屋のあんぱん
銀座木村家HP→


多くの歴史的著名人に愛された街・銀座。
歴史を堪能しながら、銀座をぶらり散歩されてはいかがでしょうか。

では、まだまだ歴史漫画散歩は続きます。次回はまた東京・小石川に戻ります。

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漫画「はいからさんが通る」を散歩する①

こんにちは。
幽翠街道です。残暑が異様に続いている今年の9月皆様どうお過ごしですか?

さて、今回のテーマは歴史漫画の舞台プチ巡りです。
二次元世界のモデルとなった実在する場所を訪ねることを、今時のアニメやゲームファンの間では“巡礼”とか言ってますね。
歴史漫画にもそれがあって良いのではないかと思い、かつて……今も大好きな「はいからさんが通る」(大和和紀著)の舞台となった東京小石川・銀座をぶらり散歩してみました。


かげろう
ゆらゆら
小石川

ハーフブーツに
えび茶のはかま
頭のリボンも
ひらひらと

これで
きまりの
女学生

わたくし
花の
十七さい


と、ご機嫌よろしく自転車に乗って学校に向かう主人公・花村紅緒。
その時、桜満開の並木の下で、毛虫にひっくり返って転んだ時に出会った運命の人・伊集院忍。

その場所が小石川のお堀沿いに咲く桜並木。
播磨坂の桜並木

小石川でお堀のある桜並木といったらここ播磨坂桜並木ですが、実際は第二次大戦後の区画整理でできた坂道で、昔この地にあった松平播磨守の上屋敷にちなみ、播磨坂と名付けられました。
昭和35年に坂の舗装が行われた際に、桜の木約150本が植えられ、今では立派な桜並木に成長しました。
運命の出会いが繰り広げられる場所といったら、“満開の桜の下”というのは文芸でも漫画でもアニメでも、もはやテッパンですね。
まあ、イメージをつかんで下されば……

花村紅緒が通う女学校が「跡無女学館」。
これは文京区大塚にある跡見学園をもじった架空の学校です。
播磨坂から歩いてだいたい10分くらいでしょうか。

跡見学園正門

跡見学園は開校が1875(明治8)年。今年で創立137年というから大変由緒深い女子校(中学~大学院)です。
跡見学園女子大学の見所は「百人一首コレクション」でしょうか。これすごいわ。
サイトを見てみると、データーベース化されてて、古典好き歴史好きにはお薦めしたいです。
跡見学園HP→

紅緒にとって最悪の出会いだった伊集院忍。
彼はドイツ人の血を引く美貌の陸軍少尉で、文武両道・性格も良し(?)というパーフェクトな男。
初っ端から紅緒の許嫁という大変おいしい設定ですな。
はたして彼は陸軍のどこに配属されていたのか。
小石川には、東京砲兵工廠(とうきょうほうへいこうしょう)という日本陸軍直轄の軍需工場で、
1870(明治3)年に現在の後楽園遊園地とその周辺に建設された東京工場がありました。
主に小銃関係の製造修理をやっていたそうで、関東大震災により被災したのがきっかけで、徐々に小倉へ移転を行い、1935年(昭和10年)に小倉への移転を完了させました。
その跡地が後楽園遊園地をはじめ、大学や公園などに分割払い下げとなりました。

その跡地の一部が礫川公園(れきせんこうえん)になっています。
礫川公園

まだまだ散歩は続きますが、長くなりそうなので、一旦切って、次回は銀座を中心に散歩しようと思います。


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