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江戸三大奇書④逸著聞集(いつちょもんしゅう)2巻

こんにちは。幽翠街道です。

前の竹河さまが更新されてから、国内外で歴史的な事が起こっていますね。国内では霧島山系の新燃岳噴火。国外ではエジプトの無政府状態。
新燃岳東麓の宮崎県高原町は“神武の里”として有名な神話伝承地で、私一度行ったことがありまして、もう一度行きたいと思うほど、とても綺麗で印象的な場所でした。歴史ある神社と史跡が噴煙と火山灰でどうなっているのか、非常に心配しています。
エジプトの方はというと、エジプトの宝=人類の宝が一部の暴徒により被害にあっているとか。心ある市民が守っていてくれているそうですが、その方達を含め、カイロの博物館の方も心配です。
人知を超えた自然災害や止められない暴動から、いかに歴史的財産を守るのが難しいか考えさせてくれます。

さて、時事ネタはこれまでにして、軽やかに江戸三大奇書といきましょうか。

*****

やっと今回で全部揃いました。
江戸三大奇書の3作目になります「逸著聞集(いつちょもんしゅう)2巻」。

●著者・山岡俊明(やまおかまつあけ)について●
江戸中期の有名な国学者で、360巻の大作「類聚名物考」という当時の百科事典を著した人です。
最初は林道春のもとで漢学を究め、後に志が変わって、賀茂真淵に従って国学を学びますが、師との見解の違いで、一門を離れて独立し一家を成しました。
幕府に仕えて禄400石、老年になって剃髪し、明阿弥と称しました。安永9年(1780)に69歳で没。

●テキストについて●
本書は江戸三大奇書中最も古く、版本はなく、写本だけで伝えられています。
江戸三大奇書の中でも“抜粋集”色の強い戯著で、他2戯著が著者オリジナル作品集であるのに対し、この「逸著聞集(いつちょもんしゅう)」はタイトル通り、全58話中30話が古い説話文学からそのまま抜粋、あるいは一部変更して採用した艶笑話です。
その30話の内、
17話が「古今著聞集」(鎌倉時代)、
9話が「宇治拾遺物語」(鎌倉前期)、
3話は「古事談」(鎌倉初期)、
1話が「十訓抄」(鎌倉中期)
から持ち込まれた説話です。
残りの28話は、他文献からのエロ仕立てパロディだったり、著者のオリジナル作品だったりします。
このことからも、著者は鎌倉時代の説話文学に関心があり、特に「古今著聞集」の艶笑話に興味を抱いたことが、本書の編著の動機になったと想像されます。
ちなみに「逸著聞集」の元ネタになっている「古今著聞集」は、江戸時代で普通に出版されていた流布本だそうです。

●逸著聞集(いつちょもんしゅう)について●
漢学を修めた著者は、漢籍・仏典に対する素養も、他の国学者よりも深かったそうです。それが本書にも現れている感じがします。逸著聞集は擬古文体で綴った、優雅でエロチックな戯著で、艶笑文学の代表的な古典と位置づけられています。

本書の半分以上が鎌倉時代の説話文学の書き写しみたいなものですから、それらは「古今著聞集」などを読んで頂くとして、ここでは著者本人の創作と思われる艶笑話をご紹介します。

第28話「実高(さねたか)の紙障子突き破り話」

 文(ふみ)の蔵人(くろうど)実高の家に、人がたくさん集まって酒盛りをしていた時、酔いのまぎれに、勢((まら)←男性器のこと)で紙障子を突き破ることをして戯れていました。主人の実高の番になって、いざやろうとした丁度その時、祖父の入道が所用でやって来ました。障子の外にいた連中は、やって来た入道を見てこそこそ逃げ隠れました。
 そんな事があるとは夢にも知らない実高は、紙障子をブスッと突き破って、勢(まら)を突き出し、「どうじゃ、出たろうが。」と言いました。
 それを入道はキッと見て、しゃがれ声で「ああ出たは出たが、馬鹿なことをする奴らじゃわい。」と呟きました。実高は、その声で誰だか解ったので、あれほど勢い良く猛っていたナニもヘナヘナに縮こまり、それを振りながら逃げ出したとか。
 その後ろ姿を見送っていた人たちは、どんなに可笑しかったでしょう。


この艶笑話と似たような状景を描いた「勝絵」というものがあるそうですが、文章による出典は不明だそうです。
ですが、江戸時代の数多くの文献によると、江戸時代の無礼講では、よくこういう悪戯が行われていたそうです。
(無礼講にもほどがありますな・・・)
著者の山岡俊明(やまおかまつあけ)はそんなバカ騒ぎを元に創作したと思われます。下ネタを優雅な古文体(もどき)に表現するとは、さすがです山岡先生。

では、江戸三大奇書のお話はこれにて終了です。
辛抱強くお付き合い下さり誠にありがとうございました。
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江戸三大奇書③藐姑射秘事(はこやのひめごと)全2巻

こんにちは。幽翠街道です。

先週は、冬至・天皇誕生日・クリスマスと年中行事がこの1週間の間にびっしりでした。
更に今週は冬コミ・大晦日・正月と大型イベントも目白押しです。様々な場所で、忙しくも楽しみな日々を過ごしていらっしゃるかと思います。
かくゆう私も先週は、仕事のクリスマス商戦だけで心身共に大わらわでした。
そのため更新が遅くなってしまいすみませんでした。

さて、幽翠街道が書きます今回の記事は、江戸三大奇書の2作目「藐姑射秘事(はこやのひめごと)全2巻」です。

●著者・黒沢翁満(くろさわおきなまろ)について●
藐姑射秘事(はこやのひめごと)の著者は黒沢翁満(くろさわおきなまろ)。寛政七年(1795)桑名城内の内堀の藩邸にて生まれ、青少年時代に国学を学びます。少し変わっているのは、伊勢国の桑名は本居宣長の学風が盛んであったのにもかかわらず、翁満は宣長には学ばず、賀茂真淵の学風に感化され、独学で国学を研鑽しました。
文政六年(1823)徳川幕府による三方領知替えにより、翁満の主君・松平下総守忠堯(ただたか)が武蔵国の忍(おし)藩(埼玉県行田市)へ国替えされた際、29歳の翁満も忍へ移住しました。
後に、翁満は大阪の蔵屋敷の役人になり、忍と大阪の間を毎年半期ごとに往復していました。
晩年には大阪留守居役にまで抜擢され、安政六年(1859)4月29日65歳で大阪堂島の藩邸で没しました。
翁満の著作に「万葉集大全」「神楽催馬楽抄」「古今集大全」「随意稿」などがあり、松平下総守の家臣だけあって、国防の必要から房総の地を踏査して「異人恐怖伝」「海防嗟嘆」などを著しました。

●テキストについて●
藐姑射秘事(はこやのひめごと)は初編・後編それぞれ10章ずつ物語があります。
著者は初編だけで完結させていたつもりでいたので、当初は初編という文字はなかったそうです。
後編の序文や天保10年に書かれた「随意稿」によると、江戸などにいた学者文人により写本・回覧され、続編の執筆を要望された結果、さらに10章書き加えて全2巻の戯著が成立しました。本書は江戸三大奇書で唯一つ版本されたものですが、市販はされず、知人たちにのみ配本されたそうです。
著者・黒沢翁満(くろさわおきなまろ)が23歳頃(推定)に初編、20年後の43歳に後編を書き上げ、65歳で亡くなる安政六年(1859)秋に本書が大阪で上梓されました。後編完成後20数年経ってから上梓された理由は、その約20年もの間、同門の者が秘かに写本を繰り返すうちに、次第に誤字なども増えたため、著者本人が正しい姿で残しておきたかった思いがあったからだそうです。
ところが、残念ながら本書の上梓を見ずに著者自身が没し、上梓された本書は作者没後に知人へ配られました。

●藐姑射秘事(はこやのひめごと)について●
壮年期の黒沢翁満(くろさわおきなまろ)は国学の大家として世間に知れ渡っていたようです。
それだけ国文学に精通しているので、本書では古歌古文からの本歌取りや文句取り、古典からの換骨奪胎がふんだんに盛り込まれています。それはこの私ですら、戯著の範囲を超えた印象を受けます。
これが藐姑射秘事(はこやのひめごと)の特徴で、大国学者の高い学識に基づいた、この諧謔(かいぎゃく)精神溢れる戯著……平たく言うと、ユーモア精神に溢れるパロディ作品……として評価され、これも江戸三大奇書に選ばれた理由の一つになったと思われます。
藐姑射秘事(はこやのひめごと)の“藐姑射”は仙人の住む山の名前で、夢に現れた神女の乙女が一冊の本を与えて「秘めよ秘めよ」と告げたことから、このようなタイトルになったと初編序文に記されています。
そして、その神女が伝えた本の内容を雅な国文に変換して、それを世に伝えようという趣旨になっています。
本書を読むと、古典文学だけでなく、催馬楽(さいばら)などの古代歌謡、今は現存していないと思われる地方の民謡なども取り込んで、男女のエロ場面もしっかり随所に表現し、中には下ネタを中心にしている作品も書かれています。
著者は、伊勢物語・源氏物語を評価に値しない婬本と非難する者が、逆に唐土の本であれば珍重する風潮を歎き、江戸時代の閉塞的な世界に対して、批判的な姿勢もちらつかせています。
彼は上代文学に傾倒することで、そこに描かれた愚直で率直な人間性を肯定した世界に共感したことも、執筆の大きな要因になりました。
そういう著者・黒沢翁満の理想とする世界がシンボライズされていると思われる作品を、本書の中からご紹介します。

「筑波山の嬥歌(かがい)」

 「筑波山 領(うしわ)く神の昔より かがふ嬥歌(かがい)」と詠まれたように、世の中が華やかに変わっていく中でも、実直に万葉の風習を伝えて、古代の儀式として大切に伝え守っているのは神意である…としているのは興味深い。
 筑波の女体・男体の二柱の御神のゆるぎない御仲は申すまでもない。少しでも異性に出会いたいものと、恋しい想いを募らせた若人たちが、嬥歌の一夜に集まり想いを遂げるのであろう。「わが妻に人もたはけよ 人妻に我もたはけん」という歌があるように、顔も名も知らず、行きずりの人と交わっても、神様もお咎めされないおおらかな習慣である。
 道のあちこちには、刈り上げた早稲をしぼった新酒や、うばら餅などを売る粗末な屋台、唐菓子の香菓泡(かくのあわ)まがり餅を売る台などが、うるさいくらい立ち並んでいる。その雑踏の中を、古代めかしい髪型にして、顔には白粉を塗りたくり、派手な色彩に染めた着物を不格好に着て、かつぎを被っているのは村長の若嫁だろう。誰もが濁り酒に酔っぱらい、不作法にふざけ廻り、大声をあげて歌い喚いたりする。
 次第に騒ぎがおさまり、人々は別れ散って行く。筑波山のあちらこちらの蔭を求めて、稲殻の間などに身を隠し、それぞれがそれぞれの好きな事をする。老いも若きも、泣いたり笑ったりする声なども聞こえるから、ますます心がときめいて、若人は隅から隅へと漁り歩くのである。

 そうすると、ふと、暗いところから袖を捕らえて、女が
   筑波ねの嶺ろに隠れゐ過ぎがてに
   息づく君をいねてを遣らん
と言いかけると、男は返歌して、
   妹がこといなとは言はじ筑波山
   かくれのかたに袖ハ引きてな
     (2首とも万葉集の本歌取り)
と言いながら、添い寝して、口を舐めると、女は手を伸ばして首に巻き付いてきたようだ。

 暗闇の情交はお互い、それまで経験したことのない悦楽をもたらした。男と女が交わると、女は
「家にいれば年寄りの、ひどく悲しく小さい上に、縮こまって、何とも役に立たないのを、毎晩毎晩くやしい運命にぶつかったものだと、満足できずにいました。貴男のものはとても立派で、身もとろけそうで死にそうな心地がします。」
と、言って腰を動かせば、男も鼻息荒く、妻の悪口を言い並べる。
「いやもう、わしこそみっともない女との宿世に後悔のし通しだ。盛りをだいぶ過ぎた、えらいヤキモチで、ともすると呪うように睨む顔つきの厭らしさ。一生連れ添い遂げようとも思わないが、今夜の逢瀬は神様のお導きだ。またの嬥歌を待ち続けるのは、七夕姫のような気持ちだから、どこか一緒に隠れて、生涯連れ添う気はないか。」
と、言えば、女も、
「それが本当なら」
と、抱きしめて承知するのも愛らしい。

 思う存分むつれ合って、腕を枕にしばらくふざけている内に、有明の月がやっと昇った。樹の間からもれる月光で、顔がはっきりと見えたと思ったら、
「あら嫌だ。とんでもない。うちの人ではありませんか……」
と、がっかりすれば、男はびっくりして、
「お前だったのか」
と呆れ返り、開いた口がふさがらない。
女はそんな様子に相応しい言い繕いして、
   筑波ねに雪ふれたるをいなをかも
   悲しき児(こ)ろと思ほさぬかも
   (嬥歌の夜の出合いですもの。そうでなくとも愛しい妻と思っては下さらないのですか。)
     (万葉集の本歌取り)
と詠んで泣いた。



・・・・以上ですが、これでも、艶っぽい場面はかなりぼやかしました(汗)。もしかしたら、既婚者でしたら、この物語の妙味が解るかもしれませんね。
この作品は、古代史好きな方ならご存じの、筑波山の嬥歌を取材しています。万葉集をはじめ、日本書紀・古今集などの古歌を多く引用して、その博識ぶりを存分に発揮しています。
この作品の他にも、藐姑射秘事は古典の名場面や歴史伝説をテーマにした艶笑作品ばかりなのですが、どれもが男の馬鹿さ加減と女の打算的な言動ぶりを冷徹に分析しているのが、非常に面白いと思います。
本書の成立当時、皇国(みくに)ぶりを唱導する国学者と儒学者との対立が激しく、外国文化である仏教や儒学を排斥する運動も盛んにありました。それを踏まえて本書を読むと、国学者は何を排し何を回帰するのか解る気がしてきます。

さて、次回で江戸三大奇書の3作目となります。
今回も最後まで読んで下さってありがとうございました。





江戸三大奇書②阿奈遠加志(あなおかし)全2巻

こんにちは。今週分2回目の幽翠街道です。

今回からは江戸三大奇書の3著作を個別に紹介していきます。
まずは「阿奈遠加志(あなおかし)全2巻」から。

●著者・沢田名垂(なたり)について●
阿奈遠加志(あなおかし)の著者は沢田名垂(なたり)。安永四年(1775)生まれ。弘化二年(1845)71歳で没。会津藩に仕えた国学者。『新編会津風土記』の編者として知られています。
大変優秀な国学者で、藩命により『新編会津風土記』を編纂、会津藩の藩学日新館の和学師範を命ぜられ、「日新館童子訓」を著して、藩学の学規を整備しました。近習として仕え、藩主の侍講を勤め上げるほど信頼が厚かったようです。
また、水戸の弘道館設立の際、水戸家が会津藩に対し諮問した時、会津藩から水戸家に「和学仕方意見書」を示したのですが、これは藩主からの命により、文政二年(1819)に沢田名垂が書いたものだそうです。

●テキストについて●
沢田名垂は数々の名著を残したそうですが、大抵のものは戊辰戦争の時に焼失し、版本のない「阿奈遠加志(あなおかし)」の自筆草稿もその中に含まれていました。そのため現在は会津本と沢田本の写本だけで伝えられています。
成立年代ははっきりしないそうですが、全巻の脱稿は文政五年(1822)と推測される奥書があります。

●阿奈遠加志(あなおかし)について●
秘本ですから、当然本来の著者名を伏せて、作者自ら「花園の狂女」と仮託し、子供達が自分を指さして「あなおかし」と言ったところから、本書の書名を「阿奈遠加志(あなおかし)」としました。

本書は和歌と物語が絶妙に融合した歌物語集で、著者の和歌の造詣の深さが味わえるものになっています。
ウイットに富み、軽妙なユーモアと気品を備えた物語が多いのですが、
その中でも、人間性の矛盾をついて、飾らない人生の本質に迫った物語を一つご紹介します。

「兵衛尉某(ひょうえのじょうなにがし)」

 兵衛尉某という人は、もともと戦功の多い由緒ある武士でしたが、戦国乱世の常で、今は浪々の身となった失業武士。最近では連れ添った妻と幼児、老母を連れて、遠い田舎に隠棲していました。毎日の暮らしにも事欠く日々に、「このように貧しく落ちぶれて、また子供が増えたら、この上どんな憂き目に遭うか。今からは夫婦の交わりを断ち、母を養い、この子を育てよう。」と夫婦で固く誓いました。

 こうして、その年も暮れて、春になりましたが、家族の着る物さえ満足なものはなく、使い古した夜具を解いて着物にするほどでした。胸のふさがる事ばかりで、
  今しはた見るも寒しや諸声(もろごえ)に 泣きし昔を忍ぶ衾(ふすま)は
と、妻は哀れに泣きながら言いました。

 夏になっても、薄物の単衣さえない有様。男は夜通し蚊遣りを焚くのが役目で、おちおち眠ることができません。来し方行く末を思いながら、うとうとしていると、蚊遣りが急に燃え上がり、びっくりして消そうとしました。燃え上がった音に怯えたのか、子供が妻の着物を掴んだまま寝返りを打ちました。
 すると、引っ張られた着物がはだけ、膝を立てて仰向けに熟睡していた妻の肢体が露わになり、何とも言えない局所が残るところ無く眺められてしまいました。まだ三十歳前の男が一年余りの禁欲生活をしていたのだから、この艶めかしい光景は男の欲望に強烈な刺激を与えました。
 しかし、堅い約束をした仲なので、妻が許してくれる事はまずありません。
 つまるところ目が覚めなければ良いのだと、ひとり男は合点し、熟睡している妻に交わってしまいますが、口惜しいことに、まだ始めたばかりなのに果ててしまいました。

 やがて冬が訪れ、男が狩りから戻ると、子供が門口に迎い出て、母がいないとひどく泣いていました。
 家に入ると、老母が手紙らしいものを投げ出しました。中を開いてみると、妻の長く続く体調不良と身に覚えのない妊娠を告げる内容でした。男は妻の妊娠に全く気づいていなかったのです。あの夏の出来事を知らない妻は、原因不明の妊娠を恥じ、居たたまれず、この世にお暇をしようと家出してしまったのです。
  いつの世に晴れなば晴れむ父もなき 子ゆゑに迷ふ母の闇路は
  (父のないままできた子の故に、迷う母の闇路はいつになったら晴れるのやら)

 責任を感じて男は茫然自失し、そして気が狂ったように血眼になって、家出をした妻のあとを追って行きました。


この話は全巻の最後に置かれた小咄で、この物語に対し著者はシリアスなコメントを添えています。
それは、一瞬のむなしい満足のために、長く一生の悔いを残した淫欲を戒めているもので、全ての人はこういう淫欲には最も気をつけなさい、と最後を締めくくっています。
この話は、著者の性欲観が記された物語で、本書の面白さと価値を充分に高めた作品でもあります。


さて、次回は江戸三大奇書の2作目、どちらかにするかまだ未定ですが、他の担当者の方々と一巡した後、また紹介させて頂こうかと思います。
大長文なのに、お付き合い頂きありがとうございました。



江戸三大奇書①はじめに

今週分担当の幽翠街道です。
11月の半ばになり、寒風も吹いて来たこの頃、いかがお過ごしですか?

今週は、江戸時代に書かれた秘本(ひほん)というものを語ってみたいと思います。

秘本というのは、他人に見せずに秘かにこっそり読む春本のことです。つまり独りで愉しむ18禁的な本。
そういう秘本の内容は、好色的な滑稽さを笑う小咄集だったり、
主人公の男女が組んず解れつの情交場面をひたすら書き表す艶話(つやばなし)だったりします。

特に前者のような、ユーモアあるエロチックな滑稽話を書いた文章作品を艶笑(えんしょう)文学というそうです。
平和が続き、民衆文化が栄えた時代では、艶笑文学が数多く作られる傾向があるようで、
数多く作られるということは、高レベルの出版文化、庶民の識字率の高さも伺い知ることができると思います。

戦国の世が終結し、江戸時代に入って太平の世が始まると、艶笑文学作品は目立って現れるようになります。
その数が多い分、もちろん愚劣で下らない駄作も多かったそうですが、逆に文学作品として優れたものも相当あったそうです。

これから取り上げる「江戸三大奇書」はその艶笑文学の中でも、特に優れた3著作を指しています。

著作者の生誕順で紹介しますと、

『逸著聞集(いつちょもんしゅう)』
『阿奈遠加志(あなおかし)』
『藐姑射秘言(はこやのひめごと)』


で、この3著作を、いつ、誰が、何を基準に選定し“江戸三大”としたのかは不明だそうですが、
“江戸”と冠する以上、明治初期あたりではないかと推測されています。

他にも優れた艶笑文学作品が多数あるのに、何故これらが特別に選ばれたのでしょうか。
この3著作の共通点は、有名な国学者の筆によって書き記された戯著であること。
そして、万葉集や今昔物語などの上代文学、伊勢物語や源氏物語、義経記や平家物語などの軍記物にも精通していなければ、書くことができない話が多いこと。
いずれも純国文で書かれた秘本で、それが名だたる国学者の作であることから、文学的にも歴史的にも貴重な遺産と言えるでしょう。

これから個別に紹介していきたいのですが、長くなるので、ひとまずカットして、
そうですね……次回は『阿奈遠加志(あなおかし)』を紹介したいと思います。

今週中に投稿できたら良いなぁと思ってます。



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