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防人たちの哀歌

こんにちは。幽翠街道です。遅くなって申し訳ありません。

今回は万葉集に収められている防人歌、特にその中の悲恋関連の歌に触れてみたいと思います。

日本の防人は、飛鳥時代の663年に起こった白村江の戦いで敗戦したのがきっかけで設けられた徴兵制度により、対戦国だった唐の侵攻に備えて、九州沿岸の防衛にあたらせた徴兵兵士のことです。主に現在の甲信や関東にあたるいわゆる「東国」から徴兵され、徴兵された者は九州まではるばる遠征されました。
この制度は地方武士団など戦闘のプロ集団が成立する時代まで存続されました。

防人の任期は3年でしたが、元々農民である彼らにとっては非常に負担の重い徴用であったことが防人歌からうかがい知ることができます。

【巻第20 4331】
皇祖(すめろぎ)の遠(とほ)の領土(みかど)と、不知火筑紫ノ国は、讐守(あたまも)る鎮圧(おさへ)の城(き)ぞと、
治(きこ)しをす四方(よも)の国には、人さはに満ちてはあれど、鶏が鳴く東国男子(あづまをのこ)は出で向ひ、
顧(かへり)みせずて、いさみたる猛き軍勢(いくさ)と犒(ね)ぎ給ひ、…(この後省略)

(意訳)
皇祖代々受け継いだ遠方の領土という筑紫の国は、攻め来る讐敵を番する国家鎮護の要所と定め、
日本国中の人民はたくさん満ちているが、その中でも、東国の男は敵に向かい、
後ろに退かない、勇猛な軍勢と、労をねぎらって…


天皇にまで聞こえた屈強の東国男子。しかし、

【巻第20 4333】
鶏(とり)が鳴く東国男子(あづまをのこ)の、妻別れかなしくありけむ。年の緒長み
(兵部少輔大伴家持)
(意訳)
東国男子の夫婦の別れは、悲しいことだったっけ。別れている間の年月は長いから。


兵部少輔の頃の大伴家持は、難波で防人の検校をしていたため、東国男子の様子をすぐそばで実見していたのでしょう。
もちろん皇軍の兵士としての誇りを胸に出立した東国男子もいました。

【巻第20 4370】
霰ふり鹿島ノ神を祈りつつ、皇御軍(すめらみくさ)にわれは来(き)にしを
(那賀郡上丁大舎人部(おおとねべ)千丈(ちたけ))
(意訳)
鹿島の神様に武運長久をお祈りして、私は天子の軍隊に這入りにやって来た!


という人がいれば、

【巻第20 4387】
千葉(ちば)の野の児(こ)の手柏(てかしは)の、含(ほほ)まれど、あやにかなしみ、起きて誰(た)が来ぬ
(千葉郡大田部足人(たるひと))
(意訳)
くにの千葉野の児手柏の木が、捲いてすぼんでいるのではないが、いくら共寝しても可愛すぎて飽きることがないので、思い切って起き出したのは誰だ!?
そんな気強い男の俺が、今更恋しく思うことがあるものか!


と、防人として勇ましく旅立った後、くにの可愛い女性が恋しくなっちゃった、人もいたりして。
でも、防人歌の大部分は故郷の両親や愛妻、我が子を残して行かなければならない、それも無事に任期を終え、無事に帰郷できるかどうかもわからないつらい遠征を詠んだものばかりです。

【巻第20 4321】
畏(かしこ)き哉(や)。御言(みこと)かがふり、明日(あす)ゆりや、かえが妹(いも)たねを。妹(いも)なしにして
(国造丁長下郡の物部秋持)
(意訳)
恐れ多い天子様のお言葉を戴いたのだけど、かえの村の愛しい妻よ。明日からは愛妻を連れないで旅立たねばならないのか。


赴任する防人の心情を代表的に詠んでいますが、この歌はまだ士気が高い方だと思います。

【巻第20 4364】
防人(さきむり)に立たむ騒ぎに、家の妹(いも)が業(な)るべきことを言はず来(き)ぬかも
(茨城郡若舎人部(わかとねべ)広足(ひろたり))
(意訳)
防人として出立しようとする騒ぎの中、私の留守中、妻がするべき田畑仕事の指図をしないまま、出て来てしまった。


【巻第20 4327】
わが妻も、画(ゑ)に描(か)きとらむ暇(いつま)もが。旅行く我は、見つつ偲(しぬ)ばむ
(長下郡の物部古麻呂(ふるまろ))
(意訳)
自分の女房のも、画に写し取る暇があればよかったのに。そうすれば、旅路を行く私は道中、それを見ながら思い出して行くというものを。


田畑の仕事を奥さんに引き継げる暇すらない、また奥さんの似顔絵を用意する暇がないくらい、赴任の準備は慌ただしかったようです。
家族写真くらいすぐ撮れて、それを持ち歩ける現代人にとって切ない歌です。

任期の長さ、遙か遠い旅路の果て、どんな戦が待っているか分らない。
故郷に帰る時が来たとしても、病気で床に伏せったりすると、帰りたくても帰れない。
命の安全が全く保障できない旅ほど、家族への愛情はより深いものになっていくのが防人歌。

【巻第20 4369】
筑波嶺(つくばね)のさ百合(ゆる)の花の、夜床(ゆどこ)にも愛(かな)しけ妹ぞ、昼も愛(かな)しけ
(那賀郡上丁大舎人部(おおとねべ)千丈(ちたけ))
(意訳)
筑波の峰に咲く百合の花のように可愛い妻は、夜に寝た床の中でも愛しくて愛しくて、起きている日中でも愛しくてならない。


もうお気づきかと思いますが、この歌(4369)、上記の鹿島ノ神に祈った勇ましい歌(4370)と同じ作者です。
国家防禦の宿命を背負う勇気と、故郷と家族への哀しくも深い恋慕、二つの心が相互に作用した時、旅路の風景はどんな風に映るのでしょうか。

参考図書:現代語訳 日本の古典2 『万葉集』 訳・折口信夫 他 河出書房新社
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歴史で町おこし

こんにちは、竹河せりかです。

ちょっと前の話ですが
(ゴールデンウイークの頃なので)
埼玉県の行田市へ行ってまいりました。

行田市…と云えば
「のぼうの城」の舞台。
震災の影響で、映画公開は1年延びたようですが
忍城近辺は「のぼう」一色でした

忍城

平成に入ってから〝築城〟された忍城。

忍城は室町後期に成田氏によって築かれた城です。
1590年、豊臣秀吉の関東平定の戦いの折り、
石田三成による水攻めに耐え「忍の浮城」と称された
(詳しくは「のぼうの城」にて…)そうです。

ただ、秀吉の圧倒的兵力には敵わず、間もなく開城、
徳川の時代には安部氏→松平氏と城主は幾度か変わりました。

丸墓山古墳

こちらは、「忍城水攻め」の際、
石田三成が陣を張った、丸墓山古墳
上に登ると、眼下に忍城が見えます。
(現在も登れます)

「さきたま古墳群」の一角で、付近には15カ所もの古墳が点在。
鉄剣が出土で有名な稲荷山古墳も目の前です。

忍城にある土産屋を覗いたところ
こんな看板が目に飛び込んできました。

おもてなし物産展

観光案内所では
おもてなし武将隊にも囲まれたのですが、
はっきり言って…リアクションに困りました…。

最近、城下町で良く目にする
「おもてなし武将隊」
ターゲットは誰?







裁判さまざま

 古代エジプト屋こと高杉ナツメです。

 今回は、歴史の中の裁判について調べてみました。

 ①『雄弁な農夫』は古代エジプトの文学作品です。
 漫画の中では端折りましたが、話の中に出てくる王の名前から、第一中間期(紀元前2100年頃)のネブカウラ・クヘティ三世の治世下で起きた実話が元になっているのだろうと考えられます。

 ②「ソロモンの裁き」は、日本では「大岡裁き」として知られています。
 旧約聖書の「列王紀上」第三章に書かれています。

 ③「ドレフュス事件」は、一介の軍人にまつわる冤罪事件が発端ではありましたが、のちにフランスの国論を二分する大論争に発展したものです。その後のフランスの政治に大きな影響を与えたので、知っておいて損はない事件です。

 日本の歴史の中では、鎌倉時代の「貞永式目」で知られる北条泰時が、土地の相続に関して上手く裁いた裁判記録があるようです(『沙石集』)。

 「法律なんてムズカシイ」と敬遠せずに、万一の時のための「転ばぬ先の杖」とでも思って、日ごろから法律知識を持っておきたいものです。


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参考文献
◇フランス文学案内 篠沢秀夫著 朝日出版社 1980年6月30日第一版
◇詳説世界史研究 改訂版 木下康彦ほか編 山川出版社 2008年1月30日第1刷発行 2009年10月31日第5刷
◇古代エジプトの物語 矢島文夫編 現代教養文庫835 1974年12月15日初版第1刷発行 1980年4月30日初版第13刷
プロフィール

webfrontier

Author:webfrontier
 歴史サークル合同企画改め歴史部 In COMITIA100
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