ブログ形式で歴史・歴史関連の話題を紹介致します。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

漫画「はいからさんが通る」を散歩する①

こんにちは。
幽翠街道です。残暑が異様に続いている今年の9月皆様どうお過ごしですか?

さて、今回のテーマは歴史漫画の舞台プチ巡りです。
二次元世界のモデルとなった実在する場所を訪ねることを、今時のアニメやゲームファンの間では“巡礼”とか言ってますね。
歴史漫画にもそれがあって良いのではないかと思い、かつて……今も大好きな「はいからさんが通る」(大和和紀著)の舞台となった東京小石川・銀座をぶらり散歩してみました。


かげろう
ゆらゆら
小石川

ハーフブーツに
えび茶のはかま
頭のリボンも
ひらひらと

これで
きまりの
女学生

わたくし
花の
十七さい


と、ご機嫌よろしく自転車に乗って学校に向かう主人公・花村紅緒。
その時、桜満開の並木の下で、毛虫にひっくり返って転んだ時に出会った運命の人・伊集院忍。

その場所が小石川のお堀沿いに咲く桜並木。
播磨坂の桜並木

小石川でお堀のある桜並木といったらここ播磨坂桜並木ですが、実際は第二次大戦後の区画整理でできた坂道で、昔この地にあった松平播磨守の上屋敷にちなみ、播磨坂と名付けられました。
昭和35年に坂の舗装が行われた際に、桜の木約150本が植えられ、今では立派な桜並木に成長しました。
運命の出会いが繰り広げられる場所といったら、“満開の桜の下”というのは文芸でも漫画でもアニメでも、もはやテッパンですね。
まあ、イメージをつかんで下されば……

花村紅緒が通う女学校が「跡無女学館」。
これは文京区大塚にある跡見学園をもじった架空の学校です。
播磨坂から歩いてだいたい10分くらいでしょうか。

跡見学園正門

跡見学園は開校が1875(明治8)年。今年で創立137年というから大変由緒深い女子校(中学~大学院)です。
跡見学園女子大学の見所は「百人一首コレクション」でしょうか。これすごいわ。
サイトを見てみると、データーベース化されてて、古典好き歴史好きにはお薦めしたいです。
跡見学園HP→

紅緒にとって最悪の出会いだった伊集院忍。
彼はドイツ人の血を引く美貌の陸軍少尉で、文武両道・性格も良し(?)というパーフェクトな男。
初っ端から紅緒の許嫁という大変おいしい設定ですな。
はたして彼は陸軍のどこに配属されていたのか。
小石川には、東京砲兵工廠(とうきょうほうへいこうしょう)という日本陸軍直轄の軍需工場で、
1870(明治3)年に現在の後楽園遊園地とその周辺に建設された東京工場がありました。
主に小銃関係の製造修理をやっていたそうで、関東大震災により被災したのがきっかけで、徐々に小倉へ移転を行い、1935年(昭和10年)に小倉への移転を完了させました。
その跡地が後楽園遊園地をはじめ、大学や公園などに分割払い下げとなりました。

その跡地の一部が礫川公園(れきせんこうえん)になっています。
礫川公園

まだまだ散歩は続きますが、長くなりそうなので、一旦切って、次回は銀座を中心に散歩しようと思います。


スポンサーサイト

今はただ…

こんにちは、竹河せりかです。
暑い日が続いていますが、気がつけば今日から9月です。

そんな竹河は、現在放映中のアニメ『うた恋い』にハマッています。
↑は、同名漫画が原作。撰者の藤原定家が
「百人一首」のエピソード、特に
〝恋の和歌〟に絞って解説していくストーリーです。

詳しくはコチラ
http://www.anime-utakoi.jp/

ところで、「うた恋い」中でも紹介されているのですが

今はただ 思ひ絶えなむ とばかりを 人づてならで いふよしもがな

「百人一首」に取り上げられている
この和歌の作者は、藤原道雅(左京大夫道雅)

「百人一首」作者は歌人が多く
そのため、どうしても儀礼・歌合などで
公式に披露された作品が中心になってしまいます。

しかし、道雅は歌人ではありません。
この和歌は、道雅本人が悲恋に苦しみ、真実の心から生まれたものなのです。

藤原道雅は、11世紀初め(平安中期)の貴族。
中関白家嫡男・藤原伊周(藤原定子の兄)の子ですが
父の失脚と共に政治生命を絶たれてしまいます。
藤原道長の世では、一生出世の見込みはない青年貴族でした。

彼の恋の相手は、三条天皇の皇女・当子内親王
10歳で伊勢の斎宮となり、三条天皇の退位に伴い斎宮を退き帰京。
天皇の皇女&前斎宮の彼女は、道雅にとって〝高嶺の花〟の存在でした。

どういう経緯なのかは不明ですが
道雅が20代後半、当子内親王、15~16歳頃に、二人は出会ったと云われます。

二人の中を知った三条上皇は激怒、道雅は官位を解かれてしまいます。
(当時、内親王は生涯独身が通例で、よほどの相手でないと結婚はムリでした)。

失意に暮れた道雅が、内親王に送ったのが上記の和歌。

(今はもう、あなたを思うことはあきらめます。
でも、せめて最後に一目お目にかかって、お伝えしたかったです…
人づてではなく…)

↑意訳すると味気ないですね…やはり和歌は感性が大事。

この和歌は受け取った当子内親王も苦しんだのでしょう。
間もなく、落飾(出家)し、数年後、若くして逝去します。
一方、道雅も出世から遠く外され、「荒三位」と称される
素行不良な不良青年になりはててしまったとか。

藤原定家が「百人一首」に選んだことで
現世で結ばれる事のなかった二人の〝悲恋〟が
後世に伝わる事になったです。
プロフィール

webfrontier

Author:webfrontier
 歴史サークル合同企画改め歴史部 In COMITIA100
歴史部 In COMITIA100

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。